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2014年10月28日

2014年10月28日 (火)

我が家の歴史

ペリーが浦賀に来航に寄せて
私は手元にある我が家の家系図を、時々取り出しては眺めながら書いているのですが、この江戸の人々は私から見て、4~5代前の先祖の世代にあたります。住んでいたのは江戸ですが、きっと口伝えにこの話を聞いたと思います。幼い頃祖父の家で育った私は、その長閑だった風景を思い出します。そこは今、新宿と呼ばれていますが、東京大空襲で丸焼けになっています。亡き母の話では空襲前の家は茅葺の大きな家で、庭には柿ノ木が三本あってそれはもう、食べきれない程実ったそうです。又、(亡母の)おばあさんが、『子供の頃、ちょんまげを結っている人を見た』と言っていたとも聞きました。長い歴史から見れば、ほんの少し前の日本の風景です。
私から見れば曾祖母ですが、明治元年に生まれています。
テレビドラマになった『篤姫』は、明治16年まで生きていました。曾祖母の実家から篤姫の住んでいた千駄ヶ谷までの直線距離は約5km、昔の人の足では近所です。
篤姫の住んでいた屋敷は「徳川様」と云われモダンな洋館建てで、敷地面積十万坪を超えていたと云われる広大な土地だったとか。そこはのちに東京オリンピックで東京体育館が建てられ、屋敷は跡形もなく、一掃されてまいました。
そんな目立ったところでしたから、篤姫の葬儀の際に、沿道に一万人もの人々が集まったと云うのも、「徳川様」の事は広く平民にも知れ渡っていた証拠ですね。
曾祖父は安政6年の生まれですから、この時篤姫は23歳。屋敷までの直線距離はこれも約5km。これでは、知らなかった筈はないと思うのです。もしかしたら、篤姫本人を見ているかも知れません。葬儀の時は、曽祖父は25歳、曾祖母は16歳一緒に葬儀の列にいたかも知れないと思ったりして・・・・そんなロマンに浸りながら書いています・・・
「日本地図」を作った伊能忠敬は、50歳過ぎてから、全国を廻ったのですし、坂本竜馬が各藩に交渉に歩いた距離を考えたことがありますか。母の嫁入りの時は、東京は焼け野原でしたから、大八車に荷物を乗せて祖父が、新宿から品川の父の家まで歩いて来たとか。昔の人は歩くのが交通手段だったのです。(祖父は94歳で亡くなっています)
そう言えば子供の頃、家に大八車があった。真相は分りませんが、もしかしたらその時の大八車だったのかも知れないと、今にして思うのですが、確かめようもない。。。

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